#小説
冬もそろそろ終わりかけたある日、カシュヴァーンは自室にティルナードを迎えていた。 「……だから、多少畏れられるぐらいでちょうどいいんだ、領主なんてものは」 カシュヴァーンがそう締めくくると、小さな卓に向かって熱心に講義に聴き入っていたティルナードはこっくりうなずいた。 「うーん、やっぱりそうか、セイグラムもそういうことを言うんだよなあ……」 重要な部分を書き取りながら、自分の考えをまとめるようにティルナードは室内に視線をさまよわせる。簡単な昼食を挟んだ講義は朝から続いており、カシュヴァーンは少々眠気を感じているのだが、ティルナードの集中力は落ちていないようだ。 (……いつまでも甘ったれたおぼっちゃんじゃないって訳だ) 思索にふける被後見人の大人びた表情を、文机に座ったカシュヴァーンはひそかに感慨深い思いで眺めていた。 昨年の冬に王宮を訪れた際、旧友を名乗るゼオルディス王子と再会して体調を崩したティルナードは、レイデン地方に戻らずライセンの屋敷に厄介になっている。だいぶ調子も戻ってきたので、近づいてきた独り立ちに備え、カシュヴァーンに統治についての講義を受けている最中なのだ。 「でも、ライセン。畏れられるだけの領主でもだめだよな?」 「もちろんだ。ただ残酷に振る舞うだけなら誰でもできる。逆らう奴には容赦しない、という姿勢と同時に、忠実な者には惜しみなく報償を与える気前の良さも見せねばならない」 俺はあまり気前の良さを見せる機会もないけどな、といまだ地元にくすぶる自分への反発にうんざりしながら、カシュヴァーンは続けた。 「とはいえ、お前は地方伯、俺は新興貴族。生まれついての領主と卑しい成り上がりでは、民衆受けが違う。それに生来の気質の問題もある。俺は逆らう奴を殴るのは平気だが、お前はそうじゃないだろう?」 「……うん、得意じゃないし、平気だって平気で言うお前のこともどうかと思うよ……」 火と暴力を何より苦手とするティルナードである。大人びた表情から一転、怯えたように距離を取ろうとする様を見て、カシュヴァーンは話の進め方を間違えたと悟った。 「……そうだな。しかしお前のそういうところは、俺にはない資質だ。セイグラムもたぶん、お前の力に訴えない部分を」 情報収集のため外出中のセイグラムの名を出しながら軌道修正しようとしたカシュヴァーンは、扉を叩く音に気づいた。 「セイグラムか? 入れ」 いいところへ、と思って声をかけたが、扉の向こうからひょっこり顔を出したのはアリシアとノーラだった。
「カシュヴァーン様、レイデン伯爵様、こんにちは。お勉強を邪魔して申し訳ないですけど、よろしければお茶にしませんか?」 にこっと微笑み、アリシアがお茶の誘いを口にする。カシュヴァーンが慣れない講師役などやっている間に、気付けばもうそんな時間になっていたようだ。 「あら、セイグラムはいませんのね。好都合……いえ、おほほ」 室内を見回し、天敵の陰険眼鏡の姿がないことを察してノーラは嬉しそうだ。最近は徐々にノーラをティルナードの花嫁候補として認めつつあるセイグラムだが、その分辛辣な物言いも増えたのでできるだけ避けたいのだろう。 「ああ、そうだな。一息つくか」 ちょうど話題を変えようとしていたところである。文机から立ち上がったカシュヴァーンに、アリシアは嬉しそうに笑った。 「うふふ、嬉しいですわ、カシュヴァーン様とお茶ができるなんて。最近はよく家にいらっしゃいますものね!!」 「――ああ、そうだな」 情報収集のために走り回っているのはセイグラムだけではない。来るアリシアの誕生日を隠れ蓑に、カシュヴァーンは国内外に多数の使者を走らせている。 彼らが情報を持って戻ってくるのを待っているので、屋敷にいることが多いのだ。妻への贈り物として計画している図書室についても大工と打ち合せをしなければならないし、それに例の指輪も…… 「カシュヴァーン様?」 「ああ、いや……」 アリシアへの隠し事ゆえに屋敷にいるのに、こうもにこにこされると少々罪悪感を感じてしまう。 いや、これもアリシアのため、と思い直し、カシュヴァーンも妻に笑い返した。 「俺も嬉しいよ、毎日お前の顔を見られて。……ところで茶菓子に『肥料要らず』は入れていないだろうな?」 亜麻色の髪に手を伸ばし、優しく撫でてやりながらさり気なく確認すれば、アリシアはぽっと頬を染めた。眼鏡の奥の瞳をそっと伏せる、恥じらいのしぐさにカシュヴァーンもどきっとしてしまう。 「きょ、今日は泥イモを生地に混ぜて焼いたケーキですの。あまり甘くないので、カシュヴァーン様もたくさん食べられると思いますわ……」 土地が痩せたアズベルグ地方では砂糖が手に入りにくいせいもあり、甘い物を食べ慣れないカシュヴァーンの好みを覚えてくれていたようだ。ささいな気遣いに込められた愛が、不意打ちのように効いた。 「……参ったな」 ただでさえ最近、日ごと可愛らしさ、愛らしさを増していくアリシアだ。ティルナードもノーラもいるのに、もしかするとルアークも覗き見しているかもしれないのに、抱きしめて口づけしたくなってしまうではないか。 「あの、でもご希望でしたら、『肥料要らず』で作ったジャムがありますので」 「いや全くご希望ではないので心配いらない」 一気に冷静になったカシュヴァーンは、苦笑いして手を引っ込めた。 同時にティルナードが、アリシアをじっと見つめていることに気づいた。 「なんだ、どうした?」 この二人の仲は決して悪くはないが、アリシアの行き過ぎた天然ぶりをティルナードは若干持て余し気味なのだ。ノーラとの恋が順調に進んでいることもあり、本来なら想い人に熱いまなざしを注ぎそうなものなのだが。 「いや、アリシア様は、とてもおきれいになったな、と……」 思いがけないひと言にカシュヴァーンは固まり、アリシアは無邪気に微笑む。 「まあ、レイデン伯爵様ったらお上手ね。ほめていただいてもお金は差し上げられませんわよ?」 「とんでもない、決してお世辞などではありませんよ。ライセンの過保護ぶりは、僕は正直杞憂に過ぎないと思って……いえ、ははは、仕方がないかもしれませんね」 際どい台詞を修正しながら笑うティルナードの口調は滑らかだ。社交辞令は貴族のたしなみ、さすが腐っても名家の令息と言うべきところかもしれないが、カシュヴァーンは内心面白くなかった。 「……どうしたティル、世辞など珍しいじゃないか。お前まさか、アリシアにおかしな気を起こしてはいないよな?」 気がつけばノーラのまなじりもつり上がっている。 「ティ……レイデン伯爵、実は本命は奥様だった、なんてことはないでしょうね……?」 「ひっ!? い、いや、違うよ!! 僕はただ、アリシア様がお美しくなられたなと、単純に思っただけで……!!」 後見人と恋人に詰め寄られ、ティルナードが慌てて弁解を始める。心外だ、と驚く様子に嘘はなく、本当に社交辞令のつもりではなかったようだ。 無論最近のアリシアが可愛いのは万人が認めるところであろうが、なおのことカシュヴァーンは面白くない。ところが、ティルナードのほうも急に表情を改めた。 「ラ、ライセンこそ……、ノーラに、その……なにも、していないよな?」 何を想像しているのか、鼻先を赤く染めたその眼はやけに真剣だ。 「愛人なんて、名ばかりで……い、いやらしいことなんか、していないよな……?」 今度はノーラが慌て始めた。 「ちょ、レイデン伯爵、昼間から何をおっしゃいますの!? い、言ったではないですか、私がそういう風に名乗っていただけだって……!!」 おたおたする二人を眺めてカシュヴァーンはため息をつく。……可愛らしいことだ、気にしていたのか、と、自分のことを棚上げして考えていると、突然くんっと服の裾を引っ張られた。 思わず下方に視線をやれば、途端にアリシアと眼が合った。彼女ははっとしたように慌てて顔を背け、次いで掴んでいたカシュヴァーンの上着の裾を放した。 「あ、ご、ごめんなさい。嫌ですわ、私ったら何を……?」 自らの行動に戸惑うように瞳を伏せる、羞恥の仕草は一年前からは想像もつかないもの。ノーラの愛人宣言など物ともせず、「お買い上げありがとうございます!」と輝く笑顔で述べたあの時の彼女は持ち得なかった感情が、幼い顔に未熟な色気を添えている。 不謹慎な笑みに口元が緩んでしまう。にやにや笑いを咳払いでごまかしながら、カシュヴァーンは努めて厳めしい声を出した。 「安心しろティル。迫られたことは何度かあるが、知ってのとおり俺はこの家でメイドに手を出す気にはなれん」 「ハルバーストの薔薇屋敷」の逸話を思い出してか、ティルナードとノーラがぴたっと黙る。気まずい空気が漂い始める前に、カシュヴァーンは意味ありげに続けた。 「だが……確かにノーラは、最近ますます美人になった。ちょっともったいないことをしたかもしれんな、とは思う」 「あ、あら、まあ」 満更でもなさそうなノーラの横で、ティルナードが凍りついている。 「ノーラがどんどんきれいになってきたのは事実だけど、ライセン、貴様今さら何を……!!」 アリシアもまた、心なしか不安そうな顔をしているが、カシュヴァーンは何食わぬ顔をして妻の小さな頭に手を置いた。 「もっとも、ノーラの美しさを引き出したのはどこぞの地方伯のおぼっちゃんだろうからな。統治者が手柄を横取りしたり、他人の女に無闇に手を出したりすれば、反感を買うだけだ。そうだよな? ティル」 先程までの講義に絡め、白々しく結んでやれば、ティルナードは一瞬黙った後素直にうなずいた。 「そ、そうか、そうだな……つまりアリシア様がお美しくなられたのは、ライセンの功績だという訳だな!!」 虚を突かれ、カシュヴァーンも思わずうなずいてしまう。 「――ま、まあ、な」 「そうだよな、お前はとてもアリシア様のことを大事にしているものな。僕や他の男といる時は顔は怖いし、言うことはえげつないし、暴力だって平気なのに、アリシア様にはいつもものすごく優しいものな!!」 「……あ、ああ、それは、まあ……」 嫌味のつもりかと思ったがそうではなさそうだ。こいつも結構天然だということを忘れていた、と心の中でつぶやいたカシュヴァーンは、赤くなり始めた頬を隠すようにそっぽを向く。 「そ、そうだな……お前も、ノーラのことをとても好きで、愛しているのだと、伝わってくるぞ。だから、ノーラはきれいになっていくのだろう」 「……っ!!」 直截な指摘を受け、ティルナードが真っ赤になって黙った。 と、いまだカシュヴァーンの手を頭に乗せたアリシアが、もじもじしながらこう言い出す。 「わ、私も……近頃カシュヴァーン様が、とってもとっても、かっこよく見えますの……」 「……あの、実は私も……レイデン伯爵が、どんどん、すてきに、見えてきて……」 ノーラまで加わっての告白合戦の場と化した室内に、甘酸っぱい空気が満ちていく。 カシュヴァーンはたまらなくなって、意味もなく腕組みをしたり、窓の外を向いたりしてみた。今すぐ妻の唇を奪いたい気持ち半分、気恥ずかしさに死にそうな気持ち半分。 そうしている間にも室内に漂う空気の糖度は増していく。……俺はやはり甘い物はそれほど得意じゃない……と思い始めたところへ、遠慮なく扉を叩く音が聞こえてきた。 「強公爵閣下、ティルナード様、戻りました」 「あ、ああ」 慌ててカシュヴァーンが返事をすると、入ってきたのはセイグラムだ。室内の全員が頬を染めた様を見て、いぶかしげに眼鏡を直す。 「どうしたのですか? アリシア様や雌猫まで、揃って顔を赤くして」 一様にうつむきがちで、視線を合わせようとしない四人を眺め回すうち、セイグラムは何かに勘付いたようだ。おもむろに小型の鞭を取り出すと、 「強公爵閣下、昼間からあまりおかしなことをティルナード様に教えないで下さい」 「どういう意味だよセイグラム!!」 あらぬ誤解にティルナードが怒り出し、ノーラも交えていつもの怒鳴り合いに突入する。 その様をにこやかに見つめているアリシアの肩をカシュヴァーンはそっと抱き、かすめるように唇を奪った。
終
※ブログ内文章の著作権は小野上明夜にあります。無断転載はお断りしております。 ※人気投票協力者の方へのお礼でしたが、ささやかな精神的糖分補給にお役立て下さい。人気投票に参加下さった方々、どうぞご容赦下さいませ。
|